レグルスジュニパー

レグルスジュニパーの日記です。

泉の観音様

その後彼を家族に話したらあなたは一応女の子なんだからやめておきます。 あるって言われてそれは実現できなかったことであります。 けども本当に自由気ままな旅そんなものに憧れます。 皆さんはどうでしょうか今日ですね。 もしそれがたとえ自由な旅だとしてももしそれが楽しいものではなくて夜逃げのようなもう逃げなければどうしようもない状態で命からがら逃げてきてそして安心して横になることもできない横になる場所もない宿もねそういうの宿旅だったらどうでしょうかもうガラリと雰囲気は変わると思います。 たとえの宿でそして虫の声を聞きながらもし一人の自由の気ままな旅だったらワクワクして次の日を待つでしょうそしてよ風に当たってもそれは涼やかに気持ちいいなあ嬉しいなあっていうの宿でしょうでもそうではなくて夜逃げしてきて命からがら逃げてきてそしてこれからどうなってしまうんだろうか自分の人生今からどうなってしまうんだろうか自分が安心して寝るそういう宿屋も間もないそういう静かで暗闇でそういうところで野宿している石を枕にして寝るそういうことであったらどうでしょうか今日はそういう話ですよ。

教正寺

どうかその人生を大江天に召された小川年越しまいを覚えつつ私たちは私たちの自分の人生をしっかりと生き抜くことができますようどうか助けてください。 私たちは失望しません。 絶望しません。 あなたがいてくださるからです。 特にご遺族のお一人お一人様どうかな誰が助けてくださり私は今週の水曜日に入院して手術致します。 ちょっと若い頃から胆石があるとありまして時々つかれたりですね。 何か食べ過ぎたらまたは脂っこいものを食べたりすると胃がキリキリと胃のあたりが痛んで夜も眠れないというようなのその時にはもう七転八倒というような寝てても起きてても何してても痛くて痛くて眠ることもできなくてっていうそういうことが何かあったんですね。

勝手に

勝手にこうやったら神様に届くはずだよねこうやったら神様に喜ばれて絶対祝福をいただけるはずだこれをのうそうじゃないマルチンルターが言ったのはこれに当てはまるんですね。まさしく聖書御嶽信仰竹仁だけキリストだけ神の栄光だけ今日を開きしましたルカの福音書の18章のところにこの宗教改革の別な形が書かれているんですね。18章の10節から家様のたとえ話が書いてあります。ここに二人の人物が書いてあります。登場人物はたったふたりこのたった二人同じユダヤ人何で一人はパリサイ人でっていうと何か違う人種みたいです。けどこれはユダヤ人になんでユダヤ人の中でバルサン主義という厳格な宗教心を持った熱心な宗教心を持ったこの人をダメになる人と言ってたんですね。同じユダヤ人です。

けどもう一人は取税人しゅでみんなでみんなで書いてあるからまた違う人種かなと思うんです。